輪島塗の起源については、従来より、「大陸渡来説」「根来塗伝播説」「合鹿椀(ごうろくわん)発展説」などの諸説が喧伝されてきたが、そのいずれにも確証がなく定かなところではない。

伝世する最古の輪島塗に、輪島市内の重蔵神社に伝わる本殿の朱塗扉がある。建立時期より室町時代・大永四年(1524年)に製作されたことがわかる。また、同神社の文明八年(1476年)建立時の棟札に輪島在住と見られる塗師の名が記されるところから、15世紀後半には、輪島において漆器の生産が行われていたと考えられる。

いまひとつ、「輪島地の粉」を使用した最古例が鳳珠郡穴水町西川島遺跡より出土した「線刻漆椀(破片)」、同時に出土したあて材の木へらや漆壺が、15世紀における奥能登の漆器生産を伺い知ることが出来る。

15世紀の輪島は、大屋荘(おおやのしょう)と呼ばれる半私領地化された国衛領であったが、西川島遺跡のような在地領主の私工房が、中世末期から近世にかけての流通経済発展にともない、海運の便利さをもとめて輪島に集合し、次第に産地形成されたことが推測される。

「合鹿椀(ごうろく椀)発展説」の合鹿椀は、隣村柳田村で作られたが、近年の調査により炭粉柿渋下地を特徴とし、地の粉下地を特徴とする輪島塗とは、異なった起源を有する、別系統の漆器と考えられるようになった。

能登半島では奈良・平安の昔からうるしを産出し、朝廷に納めてきました。
長い歴史の中で品質を認められた輪島塗りが、全国に広まるきっかけになったのが、北前船という海の道です。
中世の輪島は「親の湊(おやのみなと)」と呼ばれ、日本の代表的な港湾「三津七湊」の一つに数えられる、有数の港でした。
輪島塗もここから船積みされ、各地へと渡っていったのです。

輪島塗の職人 輪島漆器大雅堂の蒔絵職人

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輪島塗修理

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