令和6年9月 長月
気が付くと9月に!
どうりで朝夕が少し涼しくなりました。
7月末に金沢のみなし仮設住宅から輪島へ戻りました。道路や家々の様子は少しづつですが好転しています。相変わらずがたがた道ですが(笑)
8月は、照り付ける日差しの中で、輪島漆器大雅堂・社屋の解体が始まり、現在も進んでいます。無残にも崩れ、原型をとどめない社屋は見るに忍びなく、辛く、公費解体を心待ちにしていました。
私達は解体する社屋の内部を片付けています。少しでも取り出せるものを取り出し、おかげさまで1棟だけ残された倉庫に移動させています。
電気も水道もなく、暑い暑い暑い倉庫に、人力で運んで積み上げています。まずは倉庫に入っていたものをいるものといらないものに分けて、場所づくりから始めました。何かの時のためにと取っておいた財産(ゴミも)を処分する重労働。二の腕が太くなりました(笑)
汗が滝のように流れ(←これホント)汗が目に入ってとてもしみます!こんなに汗って出るのか!!と思うくらいです(笑)
その割に、ちっとも痩せないのは、ビールがうまいからかなーー(笑)
仕事らしい仕事は何もできませんが、いつか落ち着く日を目指して汗を流す日々。
金沢に避難していた時は、離れていて忘れていた、考えないようにしていた、のだろうけれど、輪島に帰ってきたら、ほっとしたのと同時に、沢山の人々が暑い中、一生懸命汗を流して働いているのを見たり、音を聞いたりしていると、私も何かせずにはおられない気持ちです。日本全国から人や車が沢山輪島に来てくださり、復旧作業に、仮設住宅建設にボランティアに従事してくれています。暑い中、本当にありがたいです。ありがとうございます。ありがとうございます。
社屋解体は事務所棟から
まず、気の毒にもお隣にぶつかってしまっていた事務所棟から解体を始めてもらいました。お隣も修理ができないので、できるだけ早くと緊急解体の申し込みをしておりましたが、8月になってしまいました。
事務所棟の二階の解体の様子
次に展示場棟が解体されました。
展示場は、黒く光った能登瓦の大屋根が、一階下まで落ち、上からまっすぐ押しつぶしたようにぺちゃんこになっていました。展示場で、商品の陳列をするために、建物内は柱はありましたが空洞のような造りでしたので、つぶれてしまったのでしょう。展示中の輪島塗も、展示場と運命を共にしました。
次は、展示場横のキリコ棟に取り掛かるところでしたが、キリコが屋根にさわっていて、キリコを動かすと建物が一気にくずれるのでは、という心配から、この棟を後にすることになり、先に座敷棟の解体が始まりました。
座敷棟は、以前百貨店さんのお客様の輪島バスツアーを開催していた時に、食事や休憩をしていただいた二つの大広間や和室、台所などがありました。ここも大広間はぺちゃんこに押しつぶされ、物置になっていた2階部分が、地面についてしまっていました。瓦屋根から上ってみましたが、中は散々で、中の物はほとんど取り出すことができませんでした。
そして、現在は、キリコ棟にかかっています。
キリコ棟は、二階建ての展示場と同じ高さの1階建てでした、良く倒れずにつぶれずにありました。
キリコの傍に飾っていた輪島塗・朱塗りの奴提灯「愛燦燦(あいさんさん)」が、取り出されました(写真は、地震前のもの、左にキリコの屋根が見えます)
建物の構造と壊れた状態から、取り出すのは難しいと解体作業さんに言われていましたが、丁寧にそっと、苦心して取り出してくださいました。ありがとうございます。まだ奴提灯を建てる台が取り出せるかは未定です。危険なのでどうか、無理をせず、できる範囲でとお願いしています。朱塗りのキリコは、残念ながらあきらめました。
――追記—-
令和6年9月10日。
キリコは何とか屋外に運び出され、社長の手で一部を温存することが出来ました。
ありがとうございます。
最後は展示場裏手の鉄骨棟
これで木造4棟の解体が順調に進んでいますが、次は展示場の後ろ側・鉄骨造りの棟が残っています。中には大物家具を多数展示していました。おかげさまで一部救出できました。虎も助け出すことが出来ました。
二階は上塗りや下地の作業室がありました。ほこりを嫌う最終工程・上塗りの部屋は、二重構造に作ってあり、中には機械仕掛けの回転風呂もありました。
回転風呂とは、漆を塗った器物を、漆が硬化するまで入れておく箱(部屋)、といえばわかりやすいと思います(風呂という理由は、湿度の高い部屋というところから風呂と言う)。
漆は、塗って硬化するまでは、液状ですので、重力にひかれてゆっくりとろとろと垂れ下がっていきます。薄く塗っていますが、やはり垂れ下がっていきます。そこで、上下を替えるために器物を回転させます。逆さまにするのです。
また、一定の時間がたつと、機械で自動的に回転させ、これを何度も繰り返して漆が均一に硬化するようにします。
昔は、弟子が人力で回転させていたそうです。日中だけでなく、夜も当番制で!修行の一環だったのですね。
漆の樽もおろしました。
漆の樽は重いので二階の窓からロープで吊るしておろしました。
何本もおろしました。うまくいって時短と省力化ができて喜んでいました。
しかし!!
そのうち1本は、おろし始めた途端に、風呂敷の端のひもが1本切れてしまい、急いで地上へ卸しましたが、漆がどば―――っとこぼれてしまいました。
こうなると後が大変!解体さんたちがかぶれないように、きれいに拭きとり、誰も近づかないように、乾くまで目印をつけておきました。
社長は健康に邁進(笑)
そんな中、社長は金沢の病院やクリニックにて、体調を整えています。
仮設住宅は、今までよりも空間が限られていますので、今まで気にならなかったことが気になったりします。社長は、「いびき」が指摘されました(笑)
ひょうんなことから、いびき専門クリニックを紹介されたので、通い始めましたよ。
まずは、いびきの計測から!一晩中つけて寝ている間の状態を計測するそうです。
そして、特注マウスピースをつけて寝ることになりました。マウスピースをつけて仰向けに寝ると、下あごが前に出るように矯正されて、舌がのどに落ち込まず、いびきをかかない、ということらしいです。(横になって寝るときはいびきをかいていないそうです)
その後最近は、いびきの爆音(笑)は改善され、音は小さくなりました(でもまだいびきは、なくなりません)本人は変わらぬ快眠だそうです。めでたし、めでたし?
続きは本人が、詳しく別ブログにかくそうです。副鼻腔炎の時のような体験記を(笑)
副鼻腔炎体験記はこちらです。
8月のお盆前には、お墓の修復もしました。
うちの墓地は車一台がやっと通る細い坂道を登った上にあり、中腹にお寺があります。地震でお寺も全壊し道に崩れ出ており、道も両側の家々が倒壊していて、お墓までなかなかいくことができませんでした。
ようやくお墓まで歩いていけるようになり、行って見ると、竿石(墓の上に載っていて、字の書いてある大きな石)が地震で倒れてしまっていました。下の段はずれていました。
車があがれないので、専門の業者さんに依頼することができません。そこで、下の二段の石を押したり引いたりして定位置に戻し、必要な道具を取り寄せて、竿石を吊り上げて元の位置に戻すことが出来ました!
暑くて暑くて、重くて重くて大変でしたが、お盆には花と線香をあげて、いつも通りお参りすることが出来ました。ご先祖様もほめてくださったかもしれません。よかった。車が通れるようになったら、専門の業者さんを頼んで、きちんと直してもらいます。
実は他にも守っているお墓があり、こちらも倒壊していますので、涼しくなったら直したいと思っています。
水出し茶、こんなにおいしかったのか!
パイナップルの香りのウーロン茶、に出会いました。
パイナップルの小さい果肉も、茶葉に混じって入っています。
この茶葉を、ポットに入れて水を注ぎ、冷蔵庫で一晩。じっくりとお茶が抽出されるとのこと。へええ。
呑んでみると、、、。
びっくりするほど、良い香り!味わいもほんのり甘く、苦みが無い! 水出し茶って、こんなにおいしかったのか!!
実は、熱いお茶を美味しく入れるのは苦手でした。難しい。それで、頂き物の茶葉が残っていましたので、緑茶でも水出しを試してみました。
うわーー、美味しい!!お茶の良い香りがふんわり香り、熱いお茶よりもうんと甘ーく感じます。玉露も1本あったので試してみたら、サイコー!すっかり水出し茶が大好きになり、盛夏からずっと、冷たい水出し茶を楽しんでいます。お客様にも好評です。
おいしい水出し茶の作り方
どうぞ試してみてください!
茶葉を10~12グラムに対して水を1リットル入れて、冷蔵庫で3~5時間から美味しく飲めます。私は茶こし機能の付いた瓶を使っていますが、普通のお茶ポットなら市販のお茶パックが便利です。茶葉をずっと入れっぱなしですと苦くなるので、時間が来たら茶葉を取り出しておいてください。時間がたつとまろやかな口当たりになりますが、早めに飲み切るのが良いそうです。
運動靴がダメになりました
金沢からの引っ越しからあいなく社屋解体作業になり、まだ引っ越しの荷物をほどききれません。それで、作業靴でなく運動靴で作業していましたら、底が取れてペタペタし、指部分も破れてしまいましたー(涙)気に入って、同じものを買って2足目でしたが、いよいよお別れの時が来ましたー。また履きやすい運動靴に出会いますように。
9月中旬頃か?仮設輪島塗工房に入居します
輪島市が建設してくれている、輪島塗・漆器従事者向けの仮設工房が順次完成し、入居が始まっています。
社屋を失った輪島漆器大雅堂も申し込みをしており、9月中旬頃入居の見込みとのこと。これで仕事を少しづつ始めることができると考えています。
まだまだ、お世話になっていた各工程の職人さん方が避難中で、輪島へ戻っていないこともあり、一度に元通り再開することはできませんが、それでも前に進められると嬉しいです。
生涯で初めての長い長い休みを頂いておりましたが、いよいよ再開の準備に取り掛かります。
どうぞ今後共よろしくお願い申し上げます。
全国を行商して歩いた祖父・父は、旅先で大変可愛がって頂き、現在でも祖父・父を知るお得意さまが多数ございます。
祖父・父は、「物がなくても売る」達人 営業マンでした。
お客様の前で輪島塗の器の仕上がりのイメージを、すらすらと絵に描いて見せ、仕上がった見本が無くても注文を取りました。器の形や色、蒔 絵・沈金の模様まで、その場で細かくうち合わせができ、仕上がった品は、大変お喜び頂いたそうです。
私もそうなりたいと、自己流ながら勉強し、輪島の技法の全てを頭にたたき込み、
お客様の求める物のイメージを形にしたい、と思っています。
現在は、器物の 形から、蒔絵・沈金の図案までお客様のご要望に合わせ、
自分で作図して制作にあたります。
頭の中で見える仕上がりの姿を、木地師から蒔絵・沈金師に細かく 指定し、
喜ばれる、そして末永く愛して頂ける輪島塗を生み出していきたいと考えております。
輪島漆器商工業協同組合 組合員
石川県輪島漆芸美術館 友の会 事務局長
合気道 奥能登合氣会 会長
輪島漆器大雅堂 代表取締役