9月 輪島市は豪雨に見舞われました
今日は雨かー。
はじめはそんな感じでした。まさかこんなことになるとは夢にも思いませんでした。
9月20日から雨が降り始め、線状降水帯が発生し、翌21日には輪島市や珠洲市、能都町など能登地方に大雨特別警報が出されるほどの大雨いいえ、豪雨になりました。
20日の降り始め以降の降水量は、輪島市では508ミリ、珠洲(同珠洲市)では398.5ミリだったそうで、両地点では、総降水量が9月の月降水量の平年値の2倍以上となる記録的豪雨となりました。
そのため、輪島市では川が氾濫し、大規模な範囲で住宅の浸水被害や、通行止め、電気・水道が不通となるなどの被害があり、残念なことに人的被害や、押し流された住宅もありました。
川の氾濫は、豪雨により川の上流で山肌や崖がくずれ、大量の土砂や木々が流されて来て、橋の橋脚や橋に引っかかることで水がせき止められてしまい、それでも上流からどんどん水や土砂が流れてきて、川があふれ、街に流れ出てしまっておきたそうです。
元日の地震で、山肌や崖に細かな亀裂が入っていたことも崖崩れ・土砂流出などの理由の一つになったと言われ、踏んだり蹴ったりです(涙)
またしても、自衛隊さんや全国からの公人私人の援助を賜ることになりました。
本当にありがとうございます。
愛車の軽四2台が水没、、、。
私どもは、仮住まいが二階でしたので、浸水の被害はありませんでしたが、不覚にも、私の愛車含め軽四自動車2台を水没させてしまいました。とほほ(涙)
社長の車と会社の軽トラックは助かりましたので、移動や荷物運びはできていますが、日常の足として重宝していた軽四がなくなり、買い物やちょっとした外出に不便を感じています。
あっという間に水没
氾濫した川の水や、雨量が多すぎてあふれた水などは、あっという間にどんどん水かさが増して、3~5分くらいで、見る見るうちに自動車が水没していきました。
ただただ、「ああああああああああー」と眺めるだけでした。
電柱が倒れたところもあり、停電や電波障害もあって、携帯電話もうまくつながらず、近所の皆さんと一緒にうちの近くの仮設住宅で暮らす母とは、とぎれとぎれしか声が聞こえず、どーなっているかわかりませんでしたが、「輪島病院に避難した」とだけ聞こえたので安心していました。
後でわかりましたが、母のいた仮設住宅は床上1mほども浸水し、近所の皆さんと胸近くまで水につかりながら手に手を取って避難したと!!
驚きました。怖かったでしょう、、、。助かってよかった。
仮設住宅のあたりは川の水がどーーっと流れていたという状態ではなく、低地だったためにあふれた水が流れ込んでそこに溜まってしまった、という感じらしく急激な流れは無く、それで水につかりながらも歩いて避難できたそうです。はああ。
母は現在、避難所の小学校に、近所の皆さんとともに避難生活を送っています。うちに来いと言っても、ご近所さんと一緒が良いと言って、避難所におります。避難所では当番があったり、さまざまな支援があったりで結構忙しくしているらしく、寒くなるまでは良いか、と思っています。
水没した仮設住宅は、地面をかさ上げし建て直してまた住めるようにしてくださるそうで、約3か月かかるそうです。次の正月は、避難所か仮設住宅かー。まだわかりません。
現在、水没した仮設住宅は、再建のための解体が進んでいます。
台所シンクやIH調理台、リモコン付き風呂、など、みな外されて新しいものに入れ替えられるそうです。もったいない、、、。
でも車と同じで水に浸かると錆びて使えないそうです。
せっかく建設していただいたのに、本当に申し訳ない気持ちです。
輪島の街中の様子
見る見るうちに水かさが増した豪雨被害でしたが、雨が降りやむとまた、見る見るうちに水は引いていきました。
その後に残ったものは、大量の土砂と水害ゴミです。水につかった家財道具が、山のように出てしまいました。
町中がドロドロになりました。
正月の大地震の被害を免れた家や店が気の毒にも、今回の豪雨で被害にあってしまったところも多数ありました。せっかく街が落ち着いてきたと思った矢先の豪雨。全く残念です。
というわけで、それから10日間ほどは、母の仮設の荷物出しやら掃除やらと、豪雨による水害の後始末で、またまたくたびれました。とほほ。
たまに、近くの海へ愛犬の散歩に行きます。地震の後、海底が隆起したために海岸線の様子は替わりましたが、そのおかげで津波の被害が抑えられたのかもしれない、と言われています。
刃物祭りに行ってきました
10月13日に岐阜県関市の刃物祭りに行ってきました。
懇意にしていただいております関市の刃物製造販売の老舗・服部刃物株式会社様が、刃物祭りに同時開催の「関アウトドアズナイフショー」に、輪島漆器大雅堂が制作参加させていただいた、漆塗り蒔絵・沈金の柄のナイフが初お目見えする、というお知らせを頂き、ぜひ拝見したく、岐阜県関市に行ってきました!
ひとひとひと、大変な賑わいの盛大な刃物祭り
関市に入ると交通量がぐんと増え、車も人も大変な数でごった返していました!
祭りの両日は大変天気が良く、10月とは思えないほどの陽気で、暑いくらい。いくつかの会場を回るために歩くと、日差しがまぶしく、暑くて、帽子か日傘を持って来るのだった――と後悔。でも容器のお陰で、露天も沢山の人出で大賑わいでした。
「関アウトドアズナイフショー」も大盛況!
平成5年に始まった「関アウトドアズナイフショー」は、現在は多くの海外からのバイヤーやファンも来場する、国内最大級のナイフショーだそうで、出展数も来場者も大変多くにぎわっていました。
始めて完成品を拝見する、輪島漆器大雅堂も携わったナイフは、漆の輝きと鋭いナイフの銀色の光沢が融合した、ひときわ目を引く美しいものに仕上がっており、大変うれしかったです。
愛好家からの評判も上々だと伺い、今後ますます世界が広がっていく手ごたえを感じました。ありがとうございます。
輪島塗の説明や、輪島漆器大雅堂の紹介・社長様にご愛用頂いている弊社の五重椀なども展示してくださっていました。
私共が輪島から来たというと、会う方皆様が地震や水害の事をお気遣いくださり、本当に恐縮しました。
関市の刃物の歴史や、居合切りの実演や、露天での浜の廉売市など、沢山の催しが開かれており、楽しく見学してきました。
日本刀のお店では、本物の刀を見せて頂き、歴史や刀にまつわる様々なうんちくをお聞かせいただきました。貴重な体験でした。
刃物職人の町はウナギが美味い!
関市を訪れると、お土産はウナギを買って帰ります。
大好きですが、輪島にはうなぎ屋さんは無く、残念。
関は「刃物職人が勢をつけるためにウナギを食べる」というだけあって、あちこちにウナギ屋さんがありました。また美味しいのです!
夜は、うなぎのひつまぶし を頂き、久しぶりにナイフや輪島塗、今後の蒔絵や沈金などのナイフの構想などを語り合い盛り上がって、久しぶりに楽しく過ごしました。
ありがとうございました。
仮設工房にて、少しながら仕事を再開しました
仮設工房が完成し、入居することができました。
同じ仮設がたくさん並んでおり、間違えてしまうので、玄関ドアに表札を貼りました(A4用紙に印刷しました)。愛着が増しました(笑)
現在はまだ荷物の整理が出来ず、これまで仕事をしてもらっていた職人さんもまだ完全に復活されていないために、一部作業の再開にとどまっております。
会社の解体は、水害で作業が中断し、まだ完了していません。
また鉄骨の工場は、まだ解体が始まりません。うーーん。
仕事をしたり、片付けをしたり、あれはどこにいった?これはどこにある?の繰り返しをしながらの日々です。
どんどん前に進みます!
あゆみはゆっくりですが、これからもどんどん前に進みたいと思っています。
今後共よろしくお願い申し上げます。
全国を行商して歩いた祖父・父は、旅先で大変可愛がって頂き、現在でも祖父・父を知るお得意さまが多数ございます。
祖父・父は、「物がなくても売る」達人 営業マンでした。
お客様の前で輪島塗の器の仕上がりのイメージを、すらすらと絵に描いて見せ、仕上がった見本が無くても注文を取りました。器の形や色、蒔 絵・沈金の模様まで、その場で細かくうち合わせができ、仕上がった品は、大変お喜び頂いたそうです。
私もそうなりたいと、自己流ながら勉強し、輪島の技法の全てを頭にたたき込み、
お客様の求める物のイメージを形にしたい、と思っています。
現在は、器物の 形から、蒔絵・沈金の図案までお客様のご要望に合わせ、
自分で作図して制作にあたります。
頭の中で見える仕上がりの姿を、木地師から蒔絵・沈金師に細かく 指定し、
喜ばれる、そして末永く愛して頂ける輪島塗を生み出していきたいと考えております。
輪島漆器商工業協同組合 組合員
石川県輪島漆芸美術館 友の会 事務局長
合気道 奥能登合氣会 会長
輪島漆器大雅堂 代表取締役