昨年9月末に輪島市から仮設工房をお借りしてもうすぐ1年になります。昨年1月1日の地震からわたしたちの環境は目まぐるしく変わりました。車の中で寝泊まりし、それが玄関での寝泊まりにかわり、2月初めに金沢のみなし仮設住宅へ一時避難、半年後輪島の仮設住宅に引っ越しし現在に至ります。お陰様で家族全員元氣に生活しています。輪島の会社と自宅は全壊と半壊で7棟あった建物も公費解体で倉庫が一つ残っただけとなりました。商品はほとんど建物から引っ張り出すことができず、全国で繰り広げられた震災応援展示会に出す商品もありませんでした。ただ一つ残った倉庫の中身は半製品ばかりで、当時も今もこれから売れるかどうかもわからない半製品にお金をかけて仕上げるわけにもいきません。また、現在の職人さんの状況も芳しくなく、まだ金沢に避難していたり、もう輪島へは帰ってこないという人もいます。仮設工房をお借りしたまではよかったのですが道具が揃わず仕事ができない状態の人もいます。震災から1年半も経ったから正常運転でしょうと考える人がたくさんいます。震災があったことを忘れている人もいます。でも、そんなものです。私自身も東日本大震災や熊本大震災をそんなふうに思っていた一人です。本当の本当のことはその場にいた人しかわからないものだと思います。いまだにこんな状況ですよって話すのも疲れます。弁解もしません。これから先やらなくてはいけないことが山積みです。振り返っている暇はありません。前を向いて今できることをコツコツとやっていくだけです。新しくひとつひとつ積み上げていくのみです。ここ1年が正念場です。がんばるぞー!おー!

若島基京雄(わかしまきみお)
全国を行商して歩いた祖父・父は、旅先で大変可愛がって頂き、現在でも祖父・父を知るお得意さまが多数ございます。
祖父・父は、「物がなくても売る」達人 営業マンでした。
お客様の前で輪島塗の器の仕上がりのイメージを、すらすらと絵に描いて見せ、仕上がった見本が無くても注文を取りました。器の形や色、蒔 絵・沈金の模様まで、その場で細かくうち合わせができ、仕上がった品は、大変お喜び頂いたそうです。
私もそうなりたいと、自己流ながら勉強し、輪島の技法の全てを頭にたたき込み、
お客様の求める物のイメージを形にしたい、と思っています。
現在は、器物の 形から、蒔絵・沈金の図案までお客様のご要望に合わせ、
自分で作図して制作にあたります。
頭の中で見える仕上がりの姿を、木地師から蒔絵・沈金師に細かく 指定し、
喜ばれる、そして末永く愛して頂ける輪島塗を生み出していきたいと考えております。
輪島漆器商工業協同組合 監査役
石川県輪島漆芸美術館 友の会 事務局長
合気道 奥能登合氣会 会長
輪島漆器大雅堂株式会社 代表取締役